AI時代の豊かさとは、時間の使い方で決まる
最近、やたらと「AIで効率化」「作業時間を短縮!」という言葉を耳にします。
確かに便利ですし、私も日々の業務でAIの力を借りて、助かっている面も多くあります。
けれど、あるときふと疑問が浮かびました。
作業が早く終わって、時間に余裕ができたとして──
その時間を、私たちは本当に“豊かなもの”にできているだろうか?
気がつけば、空いた時間にさらに別の仕事を詰め込んだり、
なんとなくスマホを眺めて過ぎてしまったり──
まるで「隙間があると埋めなければ落ち着かない」ような感覚。
そのとき、こんなことを考えました。
「もしかすると、効率化の先にある“時間の余白”こそが、人生の質を左右するのでは?」
今日はそんな問いを、少し深掘りしてみたいと思います。
空いた時間に、何を詰め込んでいますか?
効率化によって得られた“余白の時間”。
本来なら、やりたかったことに使ったり、ゆっくりする時間になるはずなのに──
・なんとなくスマホを見て過ごしてしまう
・つい仕事を詰め込み、さらに忙しくなる
・「何かしなきゃ」という焦りに追われる
そんな経験、ありませんか?
もしかすると私たちは、
空いた時間を“本当の意味で自由に使う”ことに
まだ慣れていないのかもしれません。
「効率化しないこと」に価値がある?
私は最近こう考えるようになりました。
空いた時間を「効率化できないこと」「効率化しない方が豊かになること」に使うべきではないか?
たとえば──
効率化しないこと | なぜ価値があるのか? |
自然との関わり(畑・散歩・釣り) | 手間があるからこそ季節や命のリズムを感じられる |
人との対話 | 言葉にしにくい間や空気感が信頼を育む |
アートや創作 | 目的のない遊びの中にこそ、自分らしさが現れる |
哲学的な問いや内省 | すぐに答えの出ない問いが、自分を深めてくれる |
旅や読書 | 予測不能な出会いや発見が、人生に彩りを加える |
便利になるほど、“効率化しない時間”の価値が際立ってくる。
これは、今のAI時代に生きる私たちにとっての新しいテーマだと思います。
空いた時間に、何を入れるかは自分で選べる
「効率化」は手段であって目的ではありません。
それによって手に入れた“余白”に、
何を入れるかが本当の意味での「豊かさ」を決める。
✅ あえて非効率なことをする
✅ 結果の出ない時間を味わう
✅ 詰め込まず、ただ“空白のままにしておく”勇気を持つ
これからの時代、そんな“余白との付き合い方”が大切になってくるのではないでしょうか?
あなたは、AIで空いた時間に何をしますか?
それは、本当にあなたの人生を豊かにしてくれるものですか?
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